毎週木曜日に新宿三丁目の竹林閣で、塾と展覧会を開催しています。

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プロフィール

彦坂尚嘉

Author:彦坂尚嘉
彦坂尚嘉 美術家。アート・ネットショップ『きたいぶんしギャラリー3000』主催。ヴェニスビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、パリ青年ビエンナーレ出品。クイーンズミュージアム、テイトモダーン出品。芸術分析家、元立教大学大学院比較文明学特任教授。1946年東京生まれ。多摩美術大学油彩科中退。

糸崎公朗 フォトモ・アーティスト。『子供の科学』『デジカメwatch』連載。1965年長野生まれ。東京造形大学デザイン科出身

生須芳英 アーティスト。ノイズ音楽家。1991年生まれ。多摩美術大学夜間部中退。

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日本のガラパゴス化の構造

日本社会が、内向きで、ガラパゴス化しているという指摘は、いろいろな人が繰り返ししてきている。《ムラ》という構造でしか人間の関係が作り得ないというのが、日本社会なのだろうか?
私は、美術や芸術を学問として開こうとしてきたが、古い元友人からも、美術の話をすると「そう言う話はしたくない」と言われた。驚くほどに美術家は、美術の話をしない。
赤津さんは良く存じ上げている美術評論家でいらっしゃるが、ここ10年はお会いしていない。昔の文章を見つけて、ここにご紹介する。
赤津さんは「車座」を作る日本を描写している。それは日本の現代美術批判になっている。「車座」というのは、普遍性を排除する。それは日本の本質であるかのような気がする。つまり厳密な学問的な探求が無い。
«««««««««««««««««««««««««««««
現代美術に遅れてきた青年の独り言
赤津侃(元『週間朝日』編集者、美術評論家)   
(『美術手帖・年鑑83』1月号)
 
 日本の美術界は,いくつかの「車座」の集合体である。
 のっけから「車座」などをもちだしたが,この一年,『美術手帖』の展評欄を担当してみて,そう思った。いわゆる現代美術という,筆者にとって“妖怪”をくさむらのなかをはい回る虫の眼で観て,現代美術の世界は,まさに「車座」の世界だと実感した。

 その是非が問題なのではない。「車座」の状況が内面を規制していると思われる。

 大岡信は、パリからニューヨークへ向かうジャンボ機のなかで“奇妙な光景を目にした。座席を前方に倒し,向かい合わせになって”トランプに興じる日本人の一団に驚く。新幹線でおなじみの光景だが、それを日本人は大気圏のなかにまでもちこんだ。桜の下の花見酒しかり,カラオケ酒場しかり、はたまた政党だって同じようなものだ、というわけだ。そこから大岡は「車座」が日本人の社会構造、さらには精神構造にまでおよび、「車座」の思想が深くかかわっていると論をすすめる。
 
 
 その特徴は「自分たちだけは互いに面と面を向け合いつつ、他の連中には三六〇度どこから見ても背中だけを向けているという、一種不気味なウチ向き原理』とでもいうべきものに支配されているのではないか」という。
 
 
 美術界に車座の輪はいくつあるのだろう。日本画の世界もそのひとつだ。閉鎖社会で、市場も特異である。日本画壇のヒエラルキーに限っていえば、車座ならぬ立って肩車している図だ。そう,小学校の運動会でよく見かける、内側に向かい輪をつくって肩に人を乗せている,いってみれば「肩車座」だろう。
 
 「車座」のエネルギーには圧倒されるが、権威主義の番付をつくりあげている団体展も,そうだろう。さらに,共通の理念も相互批評もなしに,なんとなく「車座」になっているのがグループ展である。これには、形式があって実体がない。
 
 売り絵だけの「車座」も見うける。これらに共通することは,「車座」特有の、言葉で語り、仲間意識が強く,他の「車座」に無関心なことであろう。
 ウチ向きの評論も多い。「車座」同士の交流なんて,もちろんあり得ないし、それぞれの輪のなかに美術評論家がいて、いわゆる専門紙誌も「車座」の数だけ発行されるといった按配だ。
  
 美術界の二重構造ともいえるのだが,まったく不可解な世界というほかはない。新聞の展覧会評も,このうちのどれかの「車座」を報道するだけである。
 さて,現代美術の「車座」である。筆者に現代美術の回廊がいつのまにかできあがった。ひとつは,国電神田駅から日本橋,京橋、銀座を通って新橋にいたる回廊である。貸画廊が無数に口をあけて待っている。
 この回廊を毎週,一日がかりで観ても、10分の9にはなんら感動しなかった。粗雑である。精神の貧しさを難渋さで隠している。

 一人よがりである。精神の葛藤がまるでない。
 
なにか,現代美術ナルシシズムが充満しているのである。


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これは、現在進めている彩流社から出版しようとしている美術と建築の20世紀年表に付ける美術批評です。

1972年に、私は現代美術の50年という年表を、美術手帖2冊を使って出しているのですが、その時に、批評を、帯で付けました。その繰り返しをやろうとしているのです。

紙の本に、CDで、この批評と年表を付けます。紙では無いので収録が可能で、油断して規模が大きくなって、作業が大幅に遅れ込んでいます。

自分自身を叱咤激励する意味を込めて、出版社には内緒で、ブログにご紹介していきます。この規模で20世紀の批評のアンソロジーを編纂しようとしているので、無意味とは言えないし、面白いと思います。どうぞよろしくご購入をお願いいたします。

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