09.22
呪術は、芸術ではない
芸術分析塾ラカンの今週の予告はUpしています。
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予告
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芸術は呪術ではありません。
呪術への退化は不幸を招きます。
自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になることが大切です。
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日本人は、一般に、宗教と呪術の区別がついていません。しかし、これは明確に違います。
芸術も同様で、原始美術の《原-芸術》と、《文明》が成立してからの《芸術》は違います。岡本太郎は、芸術を呪術としていますが、間違いです。
宗教は、呪術を否定して出現しました。
同様に、芸術は、原始美術を否定して出現しました。
仏教も、キリスト教も、厳格に偶像崇拝を禁止していますし、呪いや、おまじないを禁止しています。宗教の教えの本質を見失うと、意味が分からなくなります。
仏像や、キリストの像は、宗教の教義の基本からは否定されます。つまり寺院や教会にあるこれらの像は、宗教の退廃です。
回教やプロテスタントは、いまでも厳密に、偶像崇拝を禁止しています。
つまりキリストやマリアの像を見て、キリスト教を偶像崇拝の宗教と表面的に理解することは間違いです。
また、仏像を見て、仏教を偶像崇拝の宗教と思い、また密教の存在から、仏教を呪術と受け取ることも間違いです。
繰り返すと、仏教も、キリスト教も、回教も、呪術ではありません。
これを混同することは、一般的にはいくらもありますが、間違いなのです。
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現在の日本の中には、呪術が流行しているのですが、これは間違いです。
呪術化することを、芸術化とすることも、間違いです。
呪術は、非常に分かりやすいですが、だから間違いであり、不幸な結果になります。
呪術への傾倒は、退化現象であって、つまらないものです。
淘汰されます。
とは言っても、呪術的なるものは、人類史700万年の中の699万年に及ぶ長い歴史を持っています。ですから無くなりません。
繰り返し、蘇(よみがえ)ってきます。
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どうしても呪術に引きつけられるのならば、専門書を読んでください。
エリファス・レヴィ 著『高等魔術の教理と祭儀 (教理篇) 』
カルロス・カスタネダ著『呪術師と私―ドン・ファンの教え』
コリン・ウィルソン著『オカルト』
上記の書物は優れていますが、それは人類史699万年の長い記憶に根ざしているからです。原始的な英知を知ることは、原始美術を鑑賞することと同位です。そのことと、安易に分かりやすい”呪い”や、現代の原始美術を表現に満足することとは、違います。