11.24
;梅原龍三郎とルノワール・日本美術は下手な模倣の歴史なのか?
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梅原龍三郎とルノワール
さて、梅原龍三郎とルノワールの関係のような、どうしようもない、下手な模倣というか、輸入の失敗を、日本美術史の中では、いくらでも、見つけられます。
最近では、シンディシャーマンと、それを輸入した森村泰昌、そしてジェフクーンズを模倣しようとした村上隆などです。
日本美術史をどう考えるのか?
それは自分が日本人のアーティストであることと深く関わっていて、深刻な問題なのです。
さて、執筆する時間が限られているので、手短に話していきます。
まず、日本という文化は、基本的に《文明》ではありません。
彦坂の言語判定法では、《準-文明》というものです。
それはたとえば、メソポタミアのピラミッドと、仁徳天皇御陵の比較から、言えます。
メソポタミアのピラミッドの復元図 ここに見えるのは《文明》です。
ウルのジッグラト(ウル第3王朝)という階段状ピラミッド、これは《文明》です。
仁徳天皇陵 これは私は見に行っていますが、低い。これは《準-文明》です。
「準」というのは、「まねて作る。にせる。なずらえる。」という意味です。
つまり、原理から考えてつくるのが《文明》ですが、そのできあがった文明を見て、それを、まねてつくったものが、《準-文明》です。
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それは、コロンブスの卵に似ています。
【コロンブスの卵】
〔アメリカ大陸の発見はだれでもできることだと批判する人々に対して,コロンブスは卵を立てることを試みさせ,だれにもできないのを見て,卵の尻をつぶして立ててみせたという逸話から〕
一見簡単そうなことでも,初めて行うのは難しいというたとえ。
つまりこの「卵の尻をつぶして立ててみせた」という結果をみて、「俺にも出来る」と言ってマネをして、「卵の尻をつぶして立てる」ことを模倣してやって、それがあたかも自分の独創であるかのように振る舞うのが、
《準-文明》です。
その代表的な例が、種子島に着いた火縄銃を、日本人が模倣してつくって、織田信長の段階になると、世界中で一番の銃の生産国に、なっていたと言うことに象徴されます。このことは、日本の1960年代の高度成長経済にも繰り返されるのです。
しかし銃の原理や構造を、自分で、原理から日本人は考えなかったのです。そのために、江戸時代の半ばを過ぎると、銃の生産を止めてしまいます。そして幕末に、黒船が来て、下関戦争になると、向こうの大砲は、こちらに飛んできて当たるのですが、日本の大砲は射程距離が短くて、撃っても弾が届かない。そして負けたのです。
ポルトガル伝来銃、これは彦坂の言語判定法で見ても《文明》です。
伝八板金兵衛清定作 国産第1号の火縄銃ですが、これは彦坂の言語判定法で見て《準-文明》です。
情報出典:http://www.city.nishinoomote.lg.jp/histry/denrai.html
鉄砲を真似して製作すると言っても、鉄のパイプをつくる必要があったことと,銃身の内側にネジを切る必要があって、科学技術史上の飛躍が必要でした。しかし江戸時代において、これらの技術を秘事・秘伝として,公開を阻むだけではなくて、これを改良進歩させる努力を怠ったのです。
さて、日本美術史を見ると、たとえば平安時代の四大絵巻と言われるものの中の代表である。源氏物語絵巻は、《準-文明》です。
しかし、伴大納言絵巻は、《文明》です。
信貴山縁起絵巻も、《文明》です。
鳥獣戯画も《文明》です。
と言うことは、日本の絵画が、外国の影響だけで展開したという、内在性の欠如の指摘は、表面的なモノなのではないかと思われます。
つまり日本の美術は、一方で下手な模倣の歴史なのですが、
もう一方で、独自に《文明》としての作品をつくる、という2重性がある様なのです。