毎週木曜日に新宿三丁目の竹林閣で、塾と展覧会を開催しています。

Prev  «  [ 2017/06 ]   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  » Next
プロフィール

彦坂尚嘉

Author:彦坂尚嘉
彦坂尚嘉 美術家。アート・ネットショップ『きたいぶんしギャラリー3000』主催。ヴェニスビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、パリ青年ビエンナーレ出品。クイーンズミュージアム、テイトモダーン出品。芸術分析家、元立教大学大学院比較文明学特任教授。1946年東京生まれ。多摩美術大学油彩科中退。

糸崎公朗 フォトモ・アーティスト。『子供の科学』『デジカメwatch』連載。1965年長野生まれ。東京造形大学デザイン科出身

生須芳英 アーティスト。ノイズ音楽家。1991年生まれ。多摩美術大学夜間部中退。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本美術の人格構造の限界を超えられるのか?



岡崎とむかし、美術手帖で対談をしたときに、ロックバンドのニルバーナの名前を出したのだが、全く反応が無かった。

ロックの歴史を、1990年代で、画然と切ったのは、このニルバーナであった。

しかし、このニルバーナを聴けない人がいる。

ヒットとしては、全世界でのトータルセールスは、約7500万枚というすごいものです。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第30位というもので、
決してマイナーバンドではない。

マイナーバンドではないのに、聴けない岡崎のようなアーティストは、古いのだ。

...................................

現実は多様なので、簡単に言えるものではない。
つまり現実の多様性と、理念的な把握は違う。

この現実と、理念の区別というか、差異も、分かってくれる人は非常に少ない。

だから誤解されるのだが、分かりやすい例で言えば、色彩論において、《白》と《黒》は、重要です。
オストワルトの色彩論は1920年代に登場しますが、ここでは「理想的な白(W)」「理想的な黒(B)」というものが
存在します。

しかし1916年に登場したマンセルの色表では、「理想的な白(W)」である明度1の白は存在しませんし、
「理想的な黒(B)」である明度10の黒は存在ません。

つまり理想的な「理想的な白(W)」「理想的な黒(B)」というのは、脳の中だけの理念であって、
現実を採取すると存在しないのです。

理念の存在と、現実の存在は違っていて、この2重性が世界を作っている。

...................................

理念的な印象派という絵画運動は、モネによって始まり、モネに代表されるものです。

モネの人格は、肖像写真を言語判定法で分析すると《それだけ》です。
つまりモネの絵画の展開には即物主義性があるのです。

しかし現実社会の中で、印象派の画家ルノワールの人気は非常に大きい。
つまり現実としての印象派は、ルノワールを偉大な画家とするところにあるのです。
ルノワールの人格は《われー汝》があって、人格としては、ルノワールの方が上なのです。

モダンアートの美術史の上で、理念的に勝利を収める美術家の人格というのは、実は《それだけ》であるのです。
ざっとは確認しましたが、有名なアーティストの人格のほとんどが《それだけ》です。

フォービズム・マティス:《それだけ》
マティスの絵画を、即物主義の人格が描いていったとしてみると、多くの謎が解けます。

キュービズム・ピカソ:《それだけ》
ピカソの1945年以降のひどい《第8次元 信仰領域》の絵画が、しかしプラズマ化していくのですが、
これが何故に恥ずかしげも無く耐えられたのかというのも、即物主義の人格であったと言う視点で見ると理解できます。

同様の作業をしていって、ジェフ・クーズまでに至るまで、《それだけ》の人格者が主流を形成していきます。
ジェフ・クーズというアーティストは、あくまでもモダンアートの展開の中にしたのであって、その意味では古いアーティストでした。

こういうモダンアートの《それだけ》の人格の時代に、日本は、美術家の人格が《我だけ》であったのです。

黒田清輝:《我だけ》
岡本太郎:《我だけ》
森村泰昌:《我だけ》
村上 隆:《我だけ》

この欧米と、日本の主流アーティストの人格構造の差が、芸術の格差を作っているのです。
こういう人格差の問題は、サッカーで歴然としています。
ブラジル・サッカー選手と、日本のサッカー選手では、人格構造が違うのです。

サッカーで優勝したければ、日本選手の人格から選別し、さらには人格改造をしないと駄目です。

...................................

さて、何故にニルバーナを出したかと言えば、あくまでも理念的にですが、
情報革命後のアートの主流を形成するはずの人格構造は、《汝だけ》であると思うからです。

この予想があたるか、当たらないかは、分からないのですが、
私の知力をかけて測定すると、私の我田引水的願望も含めてですが、《汝だけ》であると思います。

このニルバーナのカートコバーンの音楽は、《汝だけ》です。

私は、アーティストは、人格構造から、自分で設定して、人格を意図的に作っていかないと、駄目だと考えます。
私は、ずいぶんとそういう努力をしてきて、多くの人に嫌われてきています。
嫌われるのは、日本のアーティストの主流は、あくまでも自己愛性の世界で、《我だけ》と信じているからです。

私は、《我だけ》では、日本の美術は、いつまでも駄目なガラケー状態であると思います。

スポンサーサイト

T

rackbacks

この記事のトラックバックURL

http://41jigen.blog12.fc2.com/tb.php/1209-0b39b12a


検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。