毎週木曜日に新宿三丁目の竹林閣で、塾と展覧会を開催しています。

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プロフィール

彦坂尚嘉

Author:彦坂尚嘉
彦坂尚嘉 美術家。アート・ネットショップ『きたいぶんしギャラリー3000』主催。ヴェニスビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、パリ青年ビエンナーレ出品。クイーンズミュージアム、テイトモダーン出品。芸術分析家、元立教大学大学院比較文明学特任教授。1946年東京生まれ。多摩美術大学油彩科中退。

糸崎公朗 フォトモ・アーティスト。『子供の科学』『デジカメwatch』連載。1965年長野生まれ。東京造形大学デザイン科出身

生須芳英 アーティスト。ノイズ音楽家。1991年生まれ。多摩美術大学夜間部中退。

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日宣美粉砕闘争と、亀倉雄策先生との出会い

s-落選エンブレム展2

亀倉雄策彦坂尚嘉

終章・日宣美粉砕闘争と、亀倉雄策先生との出会い

 昔には「日本宣伝美術会」というのがあったのである。一九五一年結成で、一九七〇年に解散している。
 
一九六九年八月に、第一九回展の審査が渋谷女子高(渋谷女子高等学校、現在は渋谷教育学園渋谷高校)で開催されていたのだが、そこに美術系の学生たちの「革命的デザイナー同盟」、「美共闘」などが乱入して、日宣美粉砕闘争を展開した。武蔵野美術大学の学生・戸井十月らの「日宣美粉砕共闘」が中心だったのだが、多摩美術大学の「革命的デザイナー同盟」と、「美共闘」が合流して、「日本宣伝美術会」を解散に追い込んだのである(?)。
 

 私自身は「美共闘」(美術家共闘会議)のメンバーであったのだが、油彩科であったこともあって、あくまでも「日宣美粉砕共闘」の中心ではなかった。ところが乱入した会場で、マイクでアジテーションをする段になると、デザイン学生は尻込みしてしまい、私がマイクを持って、最初から最後までアジテーションを展開したのである。
 

 さて、終わると、恰幅の良い人物が近づいてきて、後ろから私の肩をしっかりと抱いてくれて、「面白かった! 今度飲みに来いよ!」と言ってくれた。それが亀倉雄策先生との出会いであった。
 

 渋谷女子校の帰りに渋谷の大盛堂という本屋によって、亀倉雄策先生の作品集を見た。良いデザインで、私は感動した。敗戦後に日本の高度成長経済の顔であるデザインを見事に成立させていたからである。


 今回、私がオリンピック・エンブレムの公募に応募した動機は、亀倉雄策先生への、遅まきながらの応答というか、「「面白かった!」と言ってくださったことへの恩返しであった。だから、あくまでも亀倉雄策先生の東京オリンピックのエンブレムを乗り越える事を目標にして制作したのである。

亀倉雄策彦坂尚嘉

 

 以下、彦坂尚嘉による芸術分析です。
亀倉雄策作 東京オリンピック・エンブレム
 リテラシーは、《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の四界のあるデザイン。
 格は《第1次元 社会的理性領域〜第50次元》
 様態は、《液体》。・・・近代デザイン
 2Dデザイン。
 【ストレス300】
 【生命力50】



 

 

 リテラシーは、《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》《ディープミステリ》《ノーネイム》《越境》《未知》《その先》の9界がある。
 格は、《超次元〜163万8400次元》
 様態は、《15超高温プラズマ》・・・《無-文明》のデザイン
 3Dデザイン。
 【ストレス300】
 【生命力50】
(途中で作っている文字の沢山あるバージョンは【生命力100】であった。)



«««««««««««««««««««««««««««««


公共性を欠いたエンブレムの審査


1.多様性を排除する仕組み


 二〇二〇年の東京五輪エンブレムであるが、前回の佐野研二郎のエンブレムは盗作疑惑で、あえなく辞退となったのである。
 
 再度選び直す大会組織委員会のエンブレム委員会が、子どもにも門戸を開くなどとしたデザインを再公募して、一万五千点が集まったのである。
 
 さて、最終選考に残った四点は、こうした子供を含む国民規模のデザインコンペの結果を反映した、多様性を持っていたのであろうか?
 
 デザインには大きく分けて七種類があるのだが、この最終候補の四点は《サントーム》という性質のものだけで同質なのである。ネットの評判の中には「オリンピック・エンブレム最終選考の四案、実はすべて佐野研二郎が作りました」という冗談も書かれているが、一人のデザイナーかと思われる同質性があるのである。
 
 実は、事前に謀略があって、多数の参加者のものを落とす仕組みがあったのである。
 
 オリンピック・エンブレムには、国際オリンピック委員会(IOC)が定めた条件があって、「『社会の共有財産』と見なされるものと混同させるようなデザインを含まない」という条項である。ところが、コンペを主催する東京五輪組織委員会は、応募要項で告知しなかったのである。
 
 そして審査では、この条項で多くの作品を機械的に落としていったのである。
 
 そのために、国民規模の多様性は失われ、審査条件を知っている業界のデザイナーだけが、審査を通過したのであった。
 
 この業界を牛耳っているのが、日本グラフィックデザイン界の重鎮である永井一正氏(八六歳)。前回の審査員代表を務め、旧エンブレム選考過程の調査報告書で「隠れシード」の不正投票を行ったと指摘された人物である。今回の委員会のメンバーを見ると、全二十一人のうち五人のデザインのプロは皆、永井氏の息のかかった人物なのである。

【参考資料】
日刊ゲンダイ
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178659/2
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/179166/3
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/178914
週間新潮
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-8223.html


2.クールジャパンの失敗の二の舞

ネットでの評判を見て見ると、
「レベルの低さに驚愕です」
「新しいオリンピック・エンブレム候補ろくなの無いな」
「オリンピックエンブレム最終選考の四案、実はすべて佐野研二郎が作りました」
最終候補に対しての評価は良くないものが多いようです。 


候補作四点と亀倉雄策のエンブレムを比較すると、
ペラペラに劣化している。
芸術分析的には、亀倉雄策のデザインには、《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の四界があった。
ところが最終選考の四点は、共に《サントーム》だけの一界なので、ペラペラなのである。
亀倉雄策のデザインの《格》は高くて、一流である。詳しく言うと《第1次元 社会的理性領域〜第50次元》まである。
それに対して、候補作四点は、《格》が最低ランクなのである。すべて《第3201〜6400次元 コカコーラ》である。「コカコーラ」と同質の《格》なのである。
 

 かつては一流の高かさがあった日本のデザインの水準が、現在は最低のコカコーラの段階まで下がっているのである。業界そのものが閉塞して腐敗していて、公共性を喪失しているのである
 私から見ると、今回のオリンピック・エンブレムは、クールジャパンの失敗の二の舞いのように見えるのである。。


3.亀倉雄策を超えるための3D


 亀倉雄策という優れたデザイナーによるエンブレムは、一九六四年のものである。
 
 二〇二〇年のオリンピック・エンブレムが、亀倉雄策を乗り越えようとすれば、ひとつの考えは、今日の3D時代を反映して、3Dのエンブレムを考える事である。
 
 その意味では、候補作四点の中に、一点は3Dのエンブレムがあっても良かったのではないか?
 
 3D時代の今日のデザインコンペの四つのエンブレムが、すべて古い2D時代のデザインのレトロであるというのは、おかしくはないのか?


4.公募と審査には謀略があった

 公募と審査は、出来レース、あるいは八百長であるようです。
 
 旧東京五輪エンブレムの審査員だったデザイナーの平野敬子さんが、新エンブレム審査には不公平な部分があるのではないかと、ブログに書いている。

 二〇一六年四月八日、五輪エンブレムの最終候補四作品が発表されました。公開されたA、B、C、Dの四つのデザイン案が並んでいる様子を見て、デザインの特徴から「A案」と「BCD案」という一対三の構図に見えました。四案の中で一案を選ぶという方法論において、先頭に配置された1案だけが際立つ見え方は不適切であり、「A案」ありきのプレゼンテーションだと受け取りました。(情報出典:http://hiranokeiko.tokyo/)
 

 今回のコンペは国民投票で決まるのではないのである。エンブレム委員会が選ぶ以上、そこに密室の仕掛けや、業界の利益追求が入りやすいのである。
 
 今回の東京五輪エンブレムの最終候補選定は、八百長・出来レースだという風にみえるのである。
 
 日本のデザイン業界は、公的性に欠けている!


5,エンブレム委員長からの発表の公共性の欠如


 エンブレム委員長からの発表はちょっと驚きの内容であったのである。
「最終候補から一点、次点から二点、それ以外から一点を決定しました」というものであったからである。
「それ以外から一点」というのは、なんであるのか?
«««««««««««««««««««««««««««««
 
 組織委は昨年十一月二十四日から新エンブレム案を公募。十二月七日の締め切りまでに一万四五九九点の応募があった。その後、ソフトバンクの王貞治球団会長ら二十一人のエンブレム委による商標チェックや選定を経て、今年一月九日には六十四点にまで絞られた。その後、さらに厳正な商標チェックがあり、五十六点が“落選”。計八点が残り、三月二十八日までにうち五点がさらに“落選”し、残ったのは三点だった。ところが、なぜかエンブレム委は一度“落選”させた五十六点の中から投票制で一点をピックアップ。“敗者復活”させ、きのうまでに計四点を最終候補として選び出しているのだ。三月二十八日時点で残った三点を最終候補にすればいいのに、なぜ一点だけ後から加えたのか。どうにも怪しい。“実力者”がネジ込んだ疑いがもたれているのだ。(情報出典:日刊ゲンダイ http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/179166/2)


6、落選エンブレム展


 さて、一万五千点の応募作品は、候補作の四点以外に、何があったのだろうか?
 審査に疑問をもった現代美術家の彦坂尚嘉(六九歳 元立教大学大学院特任教授)は、このエンブレムの公募に応募した自身の作品と、その制作経過の二〇点を、一日個展として公開した。

«««««««««««««««««««««««««««««
 私のエンブレムの発想は仁徳天皇御陵にあります。ここにある、鍵穴のような形に興味があったのです。若い時にこの古墳を大阪府堺市堺区大仙町に見に行っています。近くで見ると航空写真のようには見えなくて、ただの小山でありました。
 自分のエンブレムの制作過程を、出力して、展示しようと考えています。前方後円墳の古墳記号のアイコンです。ここに見られるのは、円と三角形の組み合わせです。
 そしてメソポタミアから始まり、エジプトで成立した文明は三角形の構造をしていて、それが産業革命では横倒しの三角形になった。さらに今日では、三角形が逆立した逆三角形の文明になった。今日の文明は、正三角形と、逆三角形の二つが同時存在している二重三角形の時代になっているので、複雑なのです。
 こういう私の文明論を込めたエンブレムを作ったのです。
もともと「エンブレム」というのは、今日のような単なる飾りではありませんでした。
 エンブレムは、道徳的真理や寓意といった概念を要約する、抽象的あるいは具象的な画像のことであったのです。
 私のエンブレムは、今日の3Dデザインのスタイルをとりながら、仁徳天皇の御陵から、今日の逆三角形の文明までの重層的な日本の歴史を象徴したエンブレムを構想したのでした。


2016/04/21 1:07 文責・彦坂尚嘉

s-落選エンブレム展2

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